Theory of Beauty
女性から女性に対しての意見として意外な意見であった為、そのまま読み進めた。
「女は顔じゃない、心だよ」という言葉は確かに女性に対して安堵感を与えるかもしれないが、ハートだけではなく顔も大切。 顔は表玄関。 相手に与える印象、判断する第一ポイントである。
それは美容に携わるものの意見として分かる気がするが、読み進めると内面に対しての彼女のセオリーが実に的を得ていると思った。 表面上を作ることと、内面を磨く(どうせ駄目だからという考えは捨て、どうしたら良くなるだろう?という前向きな考え方ひとつで変わる)、自分を知る、自分のやり方を見つける、といった具合に取組み方次第で人は変われるという事。
そして「コンプレックスがない人はいない」「コンプレックスはあって当たり前」。 それが無い人は自信過剰か単なる鈍感な人のどちらかである、と。
コンプレックスは進歩の出発点。 自分のコンプレックスを自覚し磨く事で自信にもつながり、それまで押込めていた気持ちを解放する事でストレスをなくす事も出来、前向きな生き方が出来ると。 コンプレックスをエネルギーに!
これは顔の「美」に対してだけではなく、それ以外の生活の中で抱える心の葛藤に当てはまる事ではないかと思った。 やはり美しい人生を送るということは、世の人々の願望だろうし、そう思える人が多ければ多い程、いい世界が作れるように思う。
このようなセオリーは始めからあったわけではなく、俳優や女優、色々な撮影現場、生活の中での経験に基づいて生まれた、人生のセオリーに行着く。
色々と書いて自分の文章を読返してみると、姿勢やしゃべり方の癖と同様に書き方の癖がある事に気がついた。 無駄な部分が多く、それを削り、似た様な言葉で語尾を締めくっている事に気がついたら別の言葉に書換えてと、注意していないと氾濫した文章になってしまう。
彼女の文章は暖かみのある優しい言葉で綴られている。
「きれいになる近道は日々の中の小さな事に幸せを感じる事」
先日友達の舞台を観劇した後、打ち上げに参加した。その時の写真。
何故か懐かしのポラロイドカメラで撮ったのだが、自分が撮った時はフラッシュが炊かず真っ黒になって写ってしまった。しかも二回も、俺の時だけ。
それに途中からカメラの調子が悪くなり、シャッターを押しても動かない。 その内シャッターを連射するようにカシャカシャしていると突然フラッシュが光る。 このいつ撮られるか分からない瞬間と、撮った後の写真の出来上がりを待つ時間がとても楽しかった。各自1〜2枚、たった一枚しか無い写真をもらった。
何ともレトロでアナログな出来事が、美味しいお酒に華を添えてくれた。
「オール・ナイト」「朝までコース」はまぁ〜多々ある事だが、「昼までコース」は無いでしょ! いつまでやってんねんこの店は! と突っ込みたくなる程、オアシスなお店だった。(こんな世界もあるんですな、と店を出ながら友達と話していた)
お店を後にし外の空気に触れると、空はあまりにも陽がよく、アルコールに満たされた身体には結構辛いものだった。 その透徹した光に罪悪感を感じながら吾が城へ戻った。

「天才ホテル」
何故だか自分が中心になっているのが嫌である。
ロイシャイが . . .
いい年だったけど、また名優が逝ったか〜っと残念な思いだ。
これも歴史になるのかな . . .
人に夢で「儚い」
ってハカナイな〜 よく考えたものだ。
散るから尊いのか、散らなくても尊いと思えるかは日常の何気ない物事にどれだけ気付けるかだと思う。
心身共に疲れた時にどうしたら良いかを教えてくれた。

astor place theatre - nyc
腹の底から笑う事。 隣の人も笑う事+。 周りを気にしない事+α。
(一番前の中央席。最後まで大丈夫だったけどやっぱりいじられた。ちょいハズ)
劇場を出た時、とても空気が冷たくて心地よかった。
Just Have Fun!
一期一会で二会あるか?
そのお店はスペイン料理などを出すお店で、三島由紀夫もよく来ていたと教えてくれた。(他にも著名人の写真が) おじさんはよく知らない自分達にワインや料理をご馳走してくれたと思う。
(このワインは本当に美味しかった!)
朝2時ぐらいに別れ、おじさん達はラーメン屋へ入っていった(まだ食べるんかい!)。 終電を逃した我々は歌舞伎町にあるカフェを探し始発を待った。
友達は何故連絡先を渡さなかったか聞いてきた。 自分自身渡そうと思ったけど直感的に止めた。
それは危ないとか怖いとかではなく、この人達とはまたどっかで会うんじゃないかな?という直感が働いたからである。 もし一期会えなくても楽しく過ごした時間は現実で確実に自分のものである。
一日を、時間を逃さないように、また直感を信じてこれからも生きていこうと思う。
この出来事は海外で過ごした時を思いだした。 それは見知らぬ相手にも挨拶やちょっとした会話などが結構あり、東京だとそれがとても少ない気がする。 日本人もある意味個人主義で相手を見ていない、見ない振りをする。 また関わり合わないようにする。 N.Yでは意外にそうではなかった。とてもコミュニケーションをとる街だと感じた。 古き良き日本と言っていてもしょうがないのではないだろうか? こういう事が本当は皆求めているんじゃないかと思う。(それは違う形で合コンとかとうことで存在しているのかな?)
貴重な時間をありがとう!
今日、約一年ぶりぐらいに自分が通っていた所の稽古を見学しに行った。その帰りに行きつけのお店へ餃子を食べに行った。 すると隣にはTVなどで見たことのある俳優(年配)がスタッフらしき人達と4人で食べていた。 気にすることもないのだが、隣だし大きな声でしゃべるからいやでも内容が耳に入る。 それはある舞台に出演している人の悪口だったり、ある人を"さん"付けして、知りもしないでワーワーしゃっべていた。そうゆう奴らを見てると"対したことねーなー"って思ってしまった。
周りで誰に聞かれてるか分からないような状況の中で、自分がTVなどに出るようなごく一般の人達とは違うということを忘れて?大きな声で人の悪口を言っているのはどうしたものか? "もっと自覚をしなければならないのではないか"とお節介なりにも思った。
無駄な話をありがとう! (無駄を無駄にしないようにネタにいたしました)
今日の稽古見学やこのじじーをみて思ったこと。
「プロとはなぞや?」
誰か教えてくれないかな . . . 。
久々に打ったせいか指がしびれて... もしや...? ギョ?ウ?ザ!?
ハリウッド版「ドラゴンボール」の前に
中国版「ドラゴンボール」
キャスティング・オブ・ドラゴンボール 日VS米
ジャパニーズ
アメリカン
おまけ
中国版ドラえもん!
Enjoy them!
みんなマメだね〜 (自分含め?)
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